3日目です。
今日もいいお天気🌤
流石にゆっくり寝て動き出したのは10時くらい。今日はフランス租界をゆっくり散歩と朱家角という水郷の町に行く予定です。
そうだ、まず銀行🏧でお金を下ろさないといけなかったとフロントに行くと今朝は女の子2人。やっぱり中国語しか話せません。
今日もスマホ片手に翻訳
彼女が何やらスマホで打ち出したので
「もう一度やってみて」とカードを差し出すと
なんと、無事決済完了!
昨日はなんだったんだー
彼女が打ってた翻訳の内容(昨日は日本語だったけど、今日は英語)
昨日の彼が悪かったのか、カードの問題かは分からず!(その後も度々トラブったから)
お詫びにお菓子をもらう
やっとスッキリして、パスポートも返してもらいまずは朝ご飯。
何にしようかと外に出ると、あれっお店がたくさん。
ホテルの前の道
食べ物屋さんも多い
行列が出来ていた甘栗屋さん。並んでみたけどあまりにも進まないので断念
こんな感じの店が並んでいた。
この店で食べることに
豆腐も砂糖入れた豆乳とか、辛そうなのとかあったけど赤ちゃん連れが食べていたこれにした。美味しかった。全部で7元(120円)
市場もすぐそこに。
お腹いっぱいで動き出す。
この街の名前の由来になった偉い人みたいです。
プラタナスの木陰が気持ちいい。
このエリアのシンボルの教会
実は工事中で入れません。
図書館らしい。
中にも入れます。
歩いてここまで来た訳は・・
ここ、上海交通大学に来るため
私の父は、戦前上海にある日本の大学、同文書院という大学に通っていたらしい。戦後この大学は解散して、父も大阪の大学に復学したと聞いたことがありました。
父は私が25歳の時に亡くなりました。
ちょっと変わり者で、本が大好きで・・
思い出に残る父は羊羹片手に本を読んでる姿です。父の知人は「歩く辞書」と言っていました。子供は父に似ています。人の目をあまり気にしないとことか(笑)
もう少し、いろんな話をしたかった。
大人になった子供と話をさせてみたかった。
中国のこともゆっくり色々聞いてみたかった。
同文書院にどういう経緯で通っていたかも知りません。色々検索してみて、おそらく政府からの給付留学生だったのでは?と思います。
それほど裕福な家庭だとは思えないので。
その同文書院が1937年から45年までこの上海交通大学に間借りをしていたという記事を見つけ来てみました。
緑が多くとても綺麗なキャンパスです。
国内からの観光客らしき人も多かった。
当時の建物らしき図書館?
ガイドツアーもやってました。
この建物見てたのかなとちょっと感傷的な気分
連れてきてあげたかったなあ。
中はこんな感じで資料館になってます。
子供の高校の同級生がこの秋から中国の大学に留学することになりました。最初は中国?と思ってましたが、こんなにステキなキャンパスみたら中国もいいかもと思い始めました。
まあこんなに綺麗なキャンパスばかりではないのでしょうが。ここは特別?
ここも資料館になっていました。
私は疲れて休憩。ダンナさんだけ、二階まで回って来ました。佐世保重工って書いてた!と長崎出身の彼は喜んでました。
観光としても来る価値ありの大学です。
学食とかあるのかな・・行ってみたかったな。
そのままフランス租界🇫🇷の雰囲気を味わうべく散歩続行です