金スマで堀ちえみさんの回を見ました。
手術が無事に終わったようでひとまず良かったです。
一番下のお嬢さんに「お母さん病気ばかりで可愛そう」と泣かれたそうで、
「子供たちに可哀そうな親と思われたまま人生の幕をとじたくない」と言うセリフが胸に刺さりました。
私の母は可哀そうな人生だったと思っています。本人はどう思うかもう聞く術はありませんが、聞いたら反発するかな?すねちゃうかな。
母は2人姉妹で幼いころはかなり裕福だったそうです。でも実のお母さんが女の子しか産めないと離縁され、実のお父さんも早くに亡くなってしまったそうです。(よくある話です)
ですから母も母の姉も高卒で働きだしたようです。この姉というのが私から見てホントに理想の女性で(美智子様みたいな人)優しいのは勿論、気はきくし、気前はいいしと同じ親から生まれてどうして?と思うほどです。
どういういきさつかは知りませんが、東大出の一流企業に勤めている叔父と出会い結婚しました。母はさぞかし劣等感のかたまりだったのではないかと想像します。
ずっと独身で叔母夫婦にお世話になっていた母は、「いつまでも世話になってはいられない」と30過ぎて2人の子持ちだった父と仕方なく結婚しました。
そして私と弟が生まれましたが、間もなくいろんな病気に罹ってしまいました。
結構な頻度で入院もしていました。いい病院があると東京まで入院しにいったこともあります。
父の連れ子の扱い方がわからず(もうかなり大きかったので)大変苦労をしていました。また父の妹達(叔母ですね)からもかなり虐められていました。
不器用な人で、立ち回り方がうまくなかったんですね。
子供心にも辛そうだな、可哀そうだなとはずっと思っていました。でも自力でそれを打破しようとする気力はもともと母には備わっていないようでした。
私たち兄弟を大事に育ててはくれましたが、そんな母によく私は説教をしていました。
お友達を作りなさい。外にでようよって・・
身体の丈夫だった父が先に亡くなり、母はそれからも入退院を繰り返し私が子供を出産して間もなく亡くなりました。
父が亡くなったのはとても悲しかったのですが、母が亡くなったとき
「よかったね。これで痛い思いしなくて済むね」という気持ちが先にきました。
母の人生は何だったんだろう。
友達という友達もなく、趣味もなく。
子供の成長だけが楽しかったのかな?
それすら楽しいと思えない程身体が辛かったかな?
私は子供を1人しか産みませんでしが(弟は未婚)、出来れば母の遺伝子を持つ子孫が続いてほしいなと漠然と思っています。父にはあまりそんな気持ちにならないんです。
それが、私にできる唯一の親孝行のような気がしています。もしかしたらそれが母の生きた証になると考えてるのかもしれません。
私は我が子に「可愛そうな親」と思われるのは絶対に嫌です。
例え病気になったとしても、何か人生を楽しむ術を見つけていきたい。でも、花粉症くらいでこんなに気分がブルーになる私にそれができるかちょっと怪しい・・
ブログを始めてから今までそれほど考えなかった、子供から見た親としての自分を意識するようになりました。
最近ニュースでよく見る青山の児相問題も住民の言いたいことはわかるんです。
個人的にはそんな地価の高いところに公共の建物(児相でなくても)作る必要はないとは思います。
でも、
「ここに児相ができたら、児相の子が可愛そうな思いをする」「高い塀を作れ」などという傲慢な意見を言って激昂してる親を子供はどんな気持ちで見ているんだろうと思います。
気持ちの貧しい親だな、正しい知識のない親だなと思うのも悲しいし、ウチの親が正しいと思う子がいても悲しい。
子供は親を選べませんから。
こんなことしたら、こんなこと言ったら子供はどう思うだろうと考えながら行動したいと思います。
また、私が変なことしたら「それは違うんじゃない」とビシッと言ってくれる子に育つことを願っています。
その時はよろしくお願いします。我が子よ!